逗子開成コミュニティ

各分野で活躍する校友紹介 

アニメ・ゲーム業界で活躍する校友

Ssbアニメ企画株式会社

鈴木 公尚(高42回)

卒業したのが1990年3月。当時の逗子開成の思い出と言えば、徳間先生による学校改革が行われている真っ最中で、それまで以前よりも進学校に移行していくためのとても激しい時期でした。
そんな中、私は浪人を経て、工学院大学に進学をして先行していた化学系に進む予定でいたものの、同じ逗子開成の悪友に誘われ、アニメ・マンガの世界にどっぷりはまってしまいました。その結果、卒業後は、アニメのビデオメーカーに勤めることになりました。
その後、もっと知見を深めたいと思い、アメリカに留学。University of Southern California・School of VISUAL ARTという大学の大学院に入学して6年間アメリカ生活を送っていました。本来ならば、アメリカで仕事をするのがセオリーという事もあったのですが、当時ニューヨークの同時多発テロ事件に巻き込まれ、日本に帰ってくる事に。日本に帰ってきた後は、コンテンツ配信系、Web系と職を移しながら、そもそもの大学院の専攻のアニメーション業界に完全に落ち着いた形になります。複数社で経験した後、今は「Ssbアニメ企画」という自分の会社を作って、アニメの企画・製作・制作をプロデューサーとして行っています。
同時に大学や専門学校でも教壇に立ち、アニメのプロデュースに対しての概論も教えています。ちなみに私の今まで携わった作品も名前を検索すれば出てきますし、勿論その作品群だけではないのですが、私の人生の中でDM系アニメだけで100本近く、TVアニメだけでも10本近くプロデュース業務としてやってきました。

実は、逗子開成はエンタテインメント業界にも強かったりします。私のいるアニメ業界・ゲーム業界には、同じ業界に同期が10人近くおり、実際に仕事をしている中でも先輩、後輩と結構アニメ業界・ゲーム業界に従事している方々が多数見受けられます。なので、逗子開成で学ぶ皆さんの中で、もしアニメ・ゲームといった職業で働きたいと考えている人がいれば、是非トライすることをお勧めします。ただし、決して甘い世界ではないので、そこだけは覚悟を持ってもらえると嬉しかったりします。やはり業界内で逗子開成の出身者に会うと嬉しかったりしますし、距離がぐっと縮まり、話しやすくなったりしますので、是非我こそはという方はお待ちしております。
という事で、アニメ業界もゲーム業界もとても大変なイメージは強いですが、そんな業界にも同胞はいるのだと思いながら、興味を持っている人はいかがでしょうか。
写真は、つい先日出張で行ったアメリカの母校の1つのUniversity of Southern CaliforniaのシンボルであるTommy Trojan像の前で撮ったものです。
 
 
Ssbアニメ企画株式会社(2021年9月設立)
神奈川県横浜市西区みなとみらい
TEL.045-350-7133
https://ssbani.me/

2026年1月1日発行、会報第74号に掲載しました。

マスコミで活躍する校友

山形放送

門田 和弘(高39回)


山形放送の門田和弘です。逗子開成を卒業して38年!思い出ベスト3を挙げます。3位(1学年がP組まであり、私はO組…確か英語選抜クラス)2位(体育祭は強制的に応援団へ…逗子の浜辺の〜ナミコさん♪)1位(プールの授業はブルーのスケスケ小さな競泳パンツ)といった事を懐かしく思い出しました。部活は入部せずにアルバイト三味の毎日でしたが、将来の事は在学中に考えるようになりました。私の代は、徳間康快氏が理事長だった事もあり、「マスコミ」という仕事に興味を持ち始めたのです。大学に進学しプロの劇団にも所属し、人前で表現する楽しさを覚え「だったらこれを仕事にしよう!」とアナウンサーになる事を決意しました。
山形放送は、日本テレビ系列のラテ兼営局です。
TVは「ズームイン!! 朝!」の山形キャスターや「タ方ワイド」などを担当、ラジオは「スポーツ実況」「朝の情報番組」などを担当し、33年間に渡りマイクの前で喋ってきました。その間に欲が出て(笑)色々な事にチャレンジしてみたくなり、ステーションソング「ぷにゅんといっしょ♪」 を作詞作曲してみたり、自分で企画したCMやラジオ番組を作ってみたり、今ではいつの間にか番組ディレクターです。挑戦の人生って楽しいですね!
皆さん「ラジオ」は聴きますか?想像力を使う媒体だからこそ、様々な世界が広がり魅力的です。数年前「豪雪地の雪下ろし〜空から冷蔵庫が降ってきた!」 という番組を作りました。どんな光景を想像しますか?YouTubeで配信していますので、試しに目をつぶって聴いてみて下さい。「ラジオ」の魅力を感じる事が出来ますよ!

新潟日報

芳本 卓也(高63回)


私は逗子開成を卒業後、青山学院大学に進学し、新卒で入社した新潟県の地元紙「新潟日報」で記者として働いています。穏やかな逗子湾を眺めていた日々から一転、荒波の日本海、冬 は豪雪で一面の銀世界で暮らしています。吹奏楽部0 B会の演奏会や練習で逗子に来るたび、関東の穏やかな天候をうらやましく思います。2015年の入社以来、外勤記者として県内各地を取材してきました。鉄道の町として知られる新潟市秋葉区(旧新津市・小須戸町) の担当や、着物産地で有名な十日町の支局員、音楽漬けだった私なのに運動部記者も拝命しました。2020年から写真記者(カメラマン)となり、J1アルビレックス新潟の撮影担当もしました。現在は長岡支社で写真記者をしています。昨年は中越地震から20年の節目、戦後80年の今年は長岡空襲から80年という節目を迎え、どのような写真を撮れば読者の目を引くか、試行錯誤の日々です。日本三大花火 の一つ「長岡花火」は、ついシャッターを切るのを忘れるほど感動的で、今年の取材も楽しみです。 新潟では少子高齢化によって中山間地の学校がなくなるなど、伝統文化や地域コミユニティの衰退・消滅が深刻です。人々の営みの痕跡は、記録しなければまるで初めからなかったかのように忘れ去られるでしょう。私たち新聞記者は、その文化や地域の維持発展に直接手出しすることは難しいかもしれませんが、後世に記録として残していく責務があると思っています。私たちが日々取材し紙面に残すことによって、多くの県民、読者に今一度、私た ちの地域や暮らしの明日を考えるきっかけを提供し、時にアクションを起こす起爆剤になれたらと思っています。そして、今を生きる新潟人の姿を何十年後、何百年後の人が知ることができる、その一助となれると信じ日々過ごしています。 日本史、世界史の授業で何百年も昔の人々の暮らしや政治を学べるのも、紙という記録媒体に先人たちが記録し残してくれたからこそですから。 お仕事やご旅行で新潟にお越しの際は、駅の売店やコンビニで弊紙を手に取って頂けたらうれしいです。どこかに私が撮った写真や書いた記事が載っていると思います。
略譜 吹奏楽部でトランペットを演奏し、今も市民オーケストラや吹奏楽部OB 会で演奏を続けています。2011年3月、逗子開成高等学校卒業。同年4月、青山学院大学総合文化政策学部入学。2015年3月同大卒業。 次回は、同じ高63回の林晃之介君にリレーします。母校の社会科教員として教壇に立っています。

 

2025年7月15日発行、会報第73号に掲載しました。