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開物成務と公益世務  筒居 茂樹(高21回)


校友会川崎会には平成19年にお亡くなりになった恩師、5期会の東寛人先生と高21回の同級生の畑野に導かれて校友会のメンバーになれました。
 
在学当時は、東関東最大の暴力、麻薬、売春地帯であった、黄金町から京浜逗子の別世界へ通った開成で先輩から開物成務の精神を学びました。
 
おかげで私のノンフィクション物語、順風満帆だった人生と言いたいが、挫折あるある、小6の12月1日にこのままだと893になると心配してくれた先生方と両親によって卒業間近に転校、高2の3学期には、無期停学処分を受け、高3の4月に実家家業の家具問屋が倒産した。
 
最初は応援団の細池と飲食店でバイトしたが、その筋の人に誘われ、また開成魂を発揮して、夜、福富町のクラブエンパイアで学ランを黒服に着替えて1年間アルバイトをして卒業できました。その間、夜の世界も修行したことは言うまでもない。成績は学年2位から、13位と通信簿に記載されています。通信簿と言えば老松中学の担任が、「逗子開成入学おめでとう。名門の名に恥じないように。」と書いて頂きました。「入れてくれた学校が良い学校」と父の言葉。今でも思い出すだけで泣けてきます。恩師の暖かい激励を頂き入学したから、幸せな、青春ドラマのような夜の顔も含め、たくさんの綺麗な女性に可愛がっていただいた学生生活でした。
 
卒業後から川崎の同窓、百瀬と学び良く遊び、横浜トヨペット、西鉄航空銀座営業所、30歳で神奈川大学に入学した際は、お祝いまでしてくれました。百瀬とは、お互いに働き遊びました。その後の人生も開成の友人等に支えられながら今日まで乗り切って来ました。
 
65歳になって、本業の会社員を継続して、介護の仕事をするに当たっては「開物成務と公益世務」を心肝に染めて中央安全管理者部会安全委員長の私が、2015年11月21日からフルタイムで勤務延長しながら、毎週土曜日は、特別養護老人ホームで介護職員として介護士を始めました。
 
人生の大先輩の入居者様に対して誠心誠意尽くし、介助、介護、自立支援を行っています。嘆く人には、「大丈夫、大丈夫、僕がいるから、心配いらない」。歌を歌っている人には、「合っていますよ、素晴らしい、春の小川を歌って下さい」。
 
食事の全介助の人には、「お願いします、食べて下さいねと頼み、共笑(ともえ)ができるように声掛けし、見守りし事故の無いよう細心の注意を払う。介護はいずれお世話になるのではなく、いつまでも介護する側にいたい。そのためには、意志の力、知恵(努力、研究、知識や技術、経験)、習慣の3つの宝物を私達は持っているはず。
 
介護は日常生活に密着している、生活習慣病に注意することは、動かなくなると、廃用症候群(生活不活発病)になるので、体をいたわるより全身を「揺すって緩めてほぐす」、筋力も自然についてくる。
 
公益世務は、広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(教育勅語 十二の徳目)、この徳目のおかげで、日曜日は、ガイドヘルパー(移動介護従事者)として、高次脳障害や知的障害をお持ちの方々を行きたい所にエスコートをする介護の仕事もしています。介護のおかげで料理もできるようになりました。
 
身体健康のためには、休みなしの生活ですが、充実、緊張、ホッとするの繰り返しで、毎日がノンフィクションの始まりだと思って家を元気良く出ます。今は使わないと思いますが、開成一家万歳。先輩、同級生、後輩の皆様万々歳。皆様の脳と身体の健康をお祈りしております。