八方尾根遭難事故
関連ページ/「八方ケルン(逗子開成ケルン)」と「いのちの碑」について
母校ホームページから
1980 (昭和55)年の暮れに起きた北アルプス八方尾根での遭難事故は学園に大きな打撃を与えました。山岳部生徒5名と顧問1名の命が失われました。補償をめぐって遺族と学園との間で訴訟が起こり、学園は大混乱に陥りました。
長きにわたった混乱を収拾したのが、1984 (昭和59)年2月に理事長に就任した徳間康快でした。徳間新体制のもと学園改革は急ピッチで徹底的に進められました。募集を停止していた中学校再開(1986)を大きなステップとして、諸設備の充実が図られました。校庭散水設備・暖房設備・AVC教室・85周年記念ホール(現徳間記念ホール)・海洋教育センター、等々です。
設備の充実と並行して教育システムの整備も行なわれました。二期制導入・海外研修実施・週5日制実施と土曜講座開設、等々です。2000(平成12)年9月に徳間康快が理事長在任のまま逝去するまでの十数年間は弛まざる改革の時代でした。
校友会は母校と協力し慰霊登山を行っています。最新の情報をお伝えします。
八方尾根慰霊登山を終えて
逗子開成中学校・高等学校教諭 宇野一成 (高29回)
2022年8月23日~25日の日程で、52会有志3名(大須賀さん、薬袋さん、宇野)と、恩師である坂田先生の4名で、八方尾根の慰霊登山に行ってまいりました。
昭和55年(1980年)12月におきた遭難事故で犠牲となった生徒5名、教員1名の慰霊と、この事故の記録や記憶が風化しないようにするため例年行っていることですが、次年度が本校120周年にあたり、その記念事業の一つとして、昭和59年(1984年)7月に『犠牲者の慰霊と山行者の安全祈願』をこめて建設した『八方ケルン(通称:開成ケルン)』の修繕を行うということがあり、その手続き方法や地元業者の資料の提供などをお願いした際、快くご協力いただいた白馬村役場の担当の方々への御礼とご挨拶も今回の一つの目的としてありました。
現地に到着した8月23日(火)の午後は、長谷(ちょうこく)寺(事故当時、遺体を荼毘(だび)にする度に読経していただいたご住職のお寺)で手を合わせ、その後白馬村役場に伺い、担当者の方に御礼と今後のご協力のお願いをしてまいりました。
翌8月24日(水)はどんよりした曇り空で雨を覚悟しつつ、午前8時すぎ、いつものようにゴンドラとリフト2本に乗り1850mの八方池山荘に到着しました。ここから坂田先生を先頭に出発し、途中の休憩時には事故当時の状況の話しを伺いながら、第2ケルン(2005m、通称:息(やすむ)ケルン)を通過し、2035mの八方ケルンまで80分ほどで到着しました。この八方ケルンを目前にした途中で、唐松岳から下山してきた本校高校2年の生徒2名に遭遇するという、偶然にしてもこれはないだろうという実に驚くべき出来事がありました。その興奮と感激した気持ちを引きずりつつ、八方ケルンの外観の様子やその痛み状況を確認した後、その先にある八方池から見る雲間の景色で心と体を休め下山の途につきました。
今回の登山では、心配していた天気も時折青空が覗き、広がる雲海と木々の緑とともにこれもまたすばらしい景色で癒されたこと、それと何より出会った生徒達が「八方ケルンをしっかり見てきました。」と母校の出来事に意識を持って力強く話してくれたことに心が熱くなり満たされた登山となりました。また、この慰霊登山で例年立ち寄らせていただいている、白馬駅傍の割烹さわど(当時、捜索本部となったさわど旅館)の店主西村さん(本校卒業生)と繋がりが保てたことも大きな収穫となりました。