ボート遭難事故 

七里ケ浜ボート遭難事故追悼集会(母校ホームページに飛びます)

母校ホームページから

1910年1月23日、学校所有のボートに無断で乗り出した本校生徒11名と小学生1名の12名は江ノ島に向かいます。ボートの定員は7名でしたので、十分な浮力はなかったでしょう。当時も今日と同じように穏やかな日だったと思いますが、冬の海の突風に煽られて七里ケ浜沖で転覆したようです。着衣も着物でしたので思うように身動きも取れなかったでしょう。12名は全員命を落としてしまいました。特に徳田家は4名の兄弟を一度に失ってしまいました。
 
本校校庭で行われた大法要では、鎌倉女学校(現鎌倉女学院)の生徒が追悼の歌『真白き富士の根』を歌い、多くの人の涙を誘いました。大切な子供を失った家族の悲しみは想像を絶するものです。人の命は何物にも代え難い。命の大切さ・重さをあらためて心に刻んでほしい。私たちは毎年追悼集会を持ち、このボート遭難事故と1980年山岳部の八方尾根遭難事故から学んだ教訓を、これからも語りつなげなければなりません。


 

ボート遭難碑の清掃活動 

2023年度報告(1月21日実施しました)

今年も清掃実施頃はまだコロナ禍の影響も残っており、後藤校友会会長、卒業仲間52会を代表して大須賀校友と鎌倉会より志村さん、小磯さん、櫛引の5人で行いました。
 
清掃は碑の台座に上り像を丁寧に清掃する人達、正面台座に嵌めこまれた銅製プレートを磨く人達で、1年間の潮風による汚れを丁寧に落としました。
 
逗子開成学園では過去にボート遭難と八方尾根遭難の悲しい出来事がありました。
 
今回も清掃に参加した大須賀校友は、新型コロナ禍前にはほぼ毎年52会仲間と両方の遭難碑を訪れ、特に昨年は八方尾根遭難碑の崩壊修復申請続きはじめ施行業者との段取りを母校とともに行っております。 
 
清掃作業時期のボート遭難碑のある稲村ケ崎からの江の島と雪をかぶった富士山の眺望は絶景であり、是非訪れてください。
 
鎌倉会会長 櫛引信明 
 

アーカイブ

 

2022年の清掃活動について

鎌倉会からお知らせ

 

例年1月に鎌倉・稲村ケ崎公園で行っているボート遭難記念碑清掃と、2月の寿福寺への田邊新之助初代校長の墓参は、新型コロナウイルス感染症が未だ予断を許さない現在の状況を鑑み、前年と同様に鎌倉会の幹事のみで行うことといたしました。
 
この行事に長年ご協力いただいている皆様にはご理解をお願いします。この状況が改善し、また皆様とともにこの二つの事業を行える状況になりましたら、改めてご案内いたします。

 
◇報告◇
 

2022年1月22日(土)、毎年恒例となっている稲村ケ崎海浜公園に建つボート遭難碑の清掃活動を実施しました。2年連続で冷たい雨に見舞われましたが、今年は、江の島と雪を頂く富士山が眩いばかりの光を放ち、透き通るような青空のもと、絶好の清掃日和となりました。
 
長引くコロナ禍のため、残念ながら今年も広く校友に参加を呼び掛けることはせず、後藤会長と鎌倉会役員2名で記念碑の清掃作業を行いました。
 
校友会の年中行事として、来年こそは多くの校友が集い、共に慰霊と清掃活動が出来るようになることを切に願っています。
 
志村 政俊(高17回)

2022年7月発行・会報第67号に掲載

2021年の活動報告

毎年ボート遭難碑の清掃は1月の第3週の土曜日を予定していますが、2021年は遭難の日の1月23日が第4週の土曜日に当たるため、この日に清掃作業を行いました。
 
例年だと遭難碑のある稲村ヶ崎公園は江ノ島越しに雪をを被った富士山が見える景勝地で観光客が来園していますが、当日はあいにくの冷たい雨がるとともに、新型コロナ蔓延の影響もあり、人影の全くない日でした。
 
碑には既に母校からの花束が添えられていました。清掃は新型コロナ禍を考慮し鎌倉会校友のみで行うことを各地区会にはお願いしていましたが、冷雨のこともあり志村前会長と櫛引の2名で行いました。
 
余談ですが、稲村ヶ崎の海岸を歩いてみると砂が黒々としている。帰宅後ネットで調べてみると県立鎌倉高校の生徒さんたちが鉄作りを研究し、秦野の刀工森光廣さんらが短刀を作ったとある。
 
鎌倉時代には多分有名な刀が作られていたかなと想像したりしています。稲村ヶ崎海岸の砂鉄の多さはその海底に起因しているとも出ています。皆様も一度遭難碑を訪れ、海岸を散策されてはどうでしょうか。
 
櫛引 信明(高17回・鎌倉会会長)

                        2021年7月発行・会報第65号に掲載