参加者は42名と、思ったより多くの校友が集まり、中にはこの歳になって初めて参加したという方もおられ、70歳になってもなお青春のままの昔話しに花が咲き、とても楽しいひと時を過ごす事ができました。
齋藤会長(高14回)の挨拶で総会が始まり、事業報告、会計報告、会則の一部改正、役員改選の各議案が満場一致で承認された。
引き続き行われた懇親会には、顧問の先生をお招きし陸上競技部の活動状況について伺った。金子先生から5年ぶりに高校総体に出場したが、昨年の県高校駅伝は、41位で一昨年の10位から大幅にダウン、県中学駅伝は33位と残念な結果になったとのこと。
しかし、早水先生からは、力をつけてきた選手が増え山梨県で開催の秋の高校関東大会に久々に出場し、1OOm、400m、400mハードル、400mリレーに入賞、来年は更に上位を目指すとの話があった。
出席者からは、勉学との両立のなか、今後の活躍を期待して散会した。
次回は、2019年11月23日(土)の予定です。
(高19回 横山 繁)
立川守さん(高11回)が優勝
ベスグロ賞は鈴木勝久さん(高16回)が獲得
久し振りに参加された校友や4名の初参加の校友と3名の保護者OBの皆さんに盛り上げて頂き大変感謝しております。
競技終了後の打ち上げパーティーには、母校から立川理事長にご出席頂き、表彰式は志村校友会会長、立川理事長のご挨拶を頂き、葉山会の守屋大光さん(高13回)による乾杯で始まりました。
競技結果は立川守さん(高11回)が優勝し、立川理事長より理事長杯を授かり、志村会長より優勝賞及び葉山国際CC様より寄贈のキャディーバッグが授与されました。
準優勝は岩澤晃さん(高13回)が、ベスグロは鈴木勝久さん(高16回)が77打で獲得し、団体戦は高13回が優勝、高16回が準優勝となり、三位までが葉山国際CC様よりの優待券を獲得しました。
今回もバラエティーに富んだ数多くの寄贈を頂くとともに多数の寄付を頂いた方々へのお礼を述べ、その後パーティーの中締めを千葉顧問にお願いしお開きとなりました。有難う御座いました。
2019年度も11月初旬に葉山国際CCで開催を予定しますので昨年同様大勢の皆様のご参加をお待ちしております。(ゴルフ部会長 高17回 櫛引信明)
会場は、ここ数年のホテルから今年は趣向を変えて、横須賀情緒が漂うLIVE HOUSEを借り切って行った。今回も遠く滋賀県湖南市や仙台市から駆けつけてくれた同期もおり、31名が参加した。
懇親会では、「開成グッズ争奪ビンゴ大会」を行い、番号が読み上げられるたびに、歓声とため息が入り混じり、大変な盛り上がりだった。お喋りに興じているうちにお開きの時間となり、名残惜しさを胸に皆で輪になって校歌を熱唱した。
次回の再会を約し、獲得した開成グッズ(全員に何らかの賞品が渡った)を大切そうに手にして家路につく皆の顔は、笑顔に溢れていた。(志村 政俊)
照井会長の挨拶では相撲部OB会の運営についての話がありました。その後、活動及び収支の報告の了承を得て議事は無事に終了。
懇親会では剣道部OB会長の稲葉会長からご挨拶をいただき、運動部OB会の活動のあり方などなどについてお話をいただきました。
川奈先輩(高11回)の乾杯の音頭で懇親会も和やかに進み、OBで学校の常任理事を務める千葉先輩(高10回)より現在の母校についてお話いただきました。OB会からは母校に土俵を作ってほしいとの要望を伝えました。
会の後半では恒例の某先輩(高10回)による「ツンツン節」と「開成数え歌」、その後、応援歌を皆で歌い、楽しい時間もあっという間に過ぎてしまいました。
最後は白川先輩(高15回)による一本締めで中締めとなりました。 (高29回 大須賀 裕司)
渡辺さんはカメラに非常に詳しく、性能・特徴及び取り扱いを写真部顧問の五十嵐丈晴先生と部長の宮崎優和君他3名に丁寧に説明して頂き生徒たちは感動した様子でした。
現在、デジタルカメラの時代で中高生にはフイルムカメラを非常に興味深く見ていました。渡辺さんも母校に寄贈出来たことを大変喜んでおり、母校と写真部の発展を願っている様子が窺えました。
(高16回 鈴木 克幸)
2日間とも晴天に恵まれ、1号館・本館・メディア棟・グラウンド・セミナーハウス・理科棟・芸術棟・武道館・グリーンネット・体育館・徳間記念ホール・海洋教育センターと、学校内すべてを開放してさまざまなイベントや展示が行われました。
校友会は「れきしとなかま」をテーマに展示と、校友会グッズを販売しましました。
高校ヨット部顧問、内田先生から校友にメッセージをいただきました
はじめに、校友会の皆様からの物心両面にわたるご支援に心より御礼申し上げます。今回の遠征にも助成をして頂きました。本当にありがとうございます。
既報の通り高校ヨット部は、8月に和歌山県で行われました全国高校総体において、優勝を含む3部門入賞(男子420級優勝、男子レーザーラジアル級5位、学校対抗4位)を、また9月末から10月初めの福井国体では、本校チームが神奈川県代表として、少年男子420級で優勝を成し遂げることができました。インターハイでの優勝は昭和59年の秋田大会以来34年ぶり、国体での優勝は昭和37年以来実に56年ぶりの事です。インターハイでは大会中、会場に響き渡る逗子開成の校歌、応援歌を聞き私も大変誇らしい気分でした。
実は高校ヨット部に新入生が入部すると、最初に練習することは校歌と応援歌(春鎌倉、黒潮、函嶺の空、浪子さん)を覚えることです。部員たちは毎レース、校歌、応援歌、エールで選手を送り出す伝統があるのですが、全国大会でこのような応援をする学校も最近では逗子開成ただ一校となりました。私は変化の激しい時代にあっても、守るべきものは必ずあると信じています。母校への愛着、誇りなどというものは教えようと思って伝えられるものではありません。長い伝統や日々の活動のなかで自然と育まれるものなのです。いずれにしましても高校生が自分の学校の校歌を堂々と大声で歌えることは素晴らしいことではないでしょうか。
私共高校ヨット部は世界に扉を開き、今後も潮風に鍛えられた心身ともに健康な若者を社会に送り出していきたいと考えております。
結びに大会役員業務で自由の利かない私と共に、チーム運営を支えて頂いている加藤、吉田(真)の両先生に最大限の賛辞を送りたいと思います。「これからも共に頑張りましょう!」甚だ力量不足の私共ですが、どうか今後ともご指導、ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
平成30年10月5日
高校ヨット部
顧問 内田 伸一
そうした中、逗子開成ヨット部は中学校でヨットを自ら作り、乗る経験を持っていることは何にも代えがたい財産である。まさしく「海洋教育の賜物」といえよう。
日本全国の高校でこうした条件で研鑽を積んでいる高校はまず無いであろう。レース直前に気象から陸上や水上で待機を命じられることがある。そんな時いかにモチベーションを保つかも大切である。部員同士が仲良く歌ったり、縄跳びをしてリラックスするやらである。これさえも参考にして、ちなみに私の勤務していた私立高校ヨット部では逗子開成に追い付き追い越せを念頭に、毎日の練習に励んだものである。習うより慣れろが合言葉であった。
こうした伝統が現在の逗子開成ヨット部の生徒に受け継がれ、J1セール(この艇種で最初に登録)がついこの間まで高体連主催レースの中で棚引いて先頭集団を走っていた。
今年(2018)度全国高校総体(インターハイ)で見事に優勝の栄冠を勝ち取ってくれました。また大学ヨット界で活躍している校友もおります。こうした活動のもと素晴らしい成果をあげるにあたり、学校側のご理解や教育方針が功を奏していることは勿論、多くの方々のご協力が結実させてくれたものである。
常に危険と背中合わせの競技であるため、救助体制を万全にして行う。
高校ヨット競技ではこれまで二人乗りが主流で行われてきている。よって乗艇する仲間同士意見交換を密に行うことは絶対条件である。逗子開成ヨット部においては、聞くところによると部内の選考レースがある。誰と組んでどうしたレースを展開するかを考える必要がある。これは、素晴らしい経験であり、他校では考えられないことである。
今、スポーツ界を揺るがしている指導者と選手の関係で、部員自ら考え相談していく姿勢は最高のものであろう。
四方海に囲まれている我が国にあって、セーリング競技はもっと普及するものと考えるが、実際高校の中には活動を停止・休止してしまう例がみられる。逗子開成は単に神奈川県に留まらず、高校ヨット界をリードする学校として今後も存在感を高めていって欲しいものである。
平成最後の総会が平成30年9月8日(土)に、高岡武士さん(高21回)経営の横浜中華街大通り均元樓にて15時より、来賓10名とPTAOB会長柳瀬氏をお迎えし総勢45名にて開催しました。
校歌斉唱、物故者への黙祷、事業報告・決算及び事業案・予算案と役員改選共に承認を頂き新年度のスタートを切る事が出来ました。
役員改選では新たに高19回の斉藤和夫さんを副会長、高25回の目黒泉さんを常任幹事に加えスタートすることとなりました。
来賓を代表して逗子開成学園高橋純校長より学業の実績及びクラブ活動の実績についてお話をいただきました。ヨット部、水泳部などがインターハイにおいて良い成績を上げているお話もあり文武両道であるとの事。続いて志村政俊校友会会長より校友会の活動についてお話をいただき懇親会に移り、出席者の学校時代の思い出やその後などを話し合い吉野副会長の締めでお開きとなりました。
(高13回 大野 秀憲)
宇山大河君 ・ 三浦遼太郎君
第2回全国高校教育模擬国連大会「国際安全保障の文脈における情報及び電気通信の進歩」 最優秀賞
<中学将棋部>
木村悠希君 ・ 馬世雄君 ・ 長谷川幸哉君
第26回神奈川県小中学校将棋大会 上級戦の部 第3位
<物理化学部>
チーム名「sunrise」 久保允希君 ・ 坂本和優君 ・ 寺田洸揮君
第20回電子ロボと遊ぶロボットコンテスト エキスパート部門 第2位
チーム名「クーゲルシュライバー」 兼子太吾君 ・ 伊勢景太君 ・ 倉持洸希君
第20回電子ロボと遊ぶロボットコンテスト エキスパート部門 レゴエデュケーション 特別賞
チーム名「鮴休霧中」 藤田頌君 ・ 瓦井勝大君 ・ 鈴木俊彦君
第12回海洋空間のシステムデザインカップひれ推進コンテスト 優勝(4連覇) ・ 特別賞
<中学野球部>
第70回神奈川県中学校 軟式野球大会 横須賀ブロック大会 団体 第3位
松本貫汰君
第70回神奈川県中学校 軟式野球大会 横須賀ブロック大会 優秀選手賞
逗子開成中学校B
第5回チャレンジケンナンベースボール 中学野球大会 優勝
<中学ヨット部>
第16回全国中学校 ヨット選手権大会 団体 第2位
・吉浦弘太朗君 OP級男子 第6位
・桔川慶次郎君 OP級男子 第4位
・松井勇人君 ミニホッパー級男子 第4位
・花岡海翔君 シーホッパー級男子 第5位
・田原隼君宇 シーホッパー級男子 第4位
<空手道部>
原田泰地君 ・ 浜岡駿介君 ・ 吉川輝君
神奈川県高等学校総合体育大会 空手道競技 男子団体形 第5位
吉川輝君
横三地区高等学校総合体育大会 空手道競技 男子個人形 第3位
<中学水泳部>
・第36回神奈川県中学校水泳競技大会 横須賀ブロック大会 優勝
・逗子葉山中学校水泳競技大会 優勝
・第70回神奈川県中学校水泳競技大会 優勝
・神奈川県私立中学校水泳競技大会 優勝
井上嘉人君 ・ 田中悠資君 ・ 星合謙一郎君 ・ 岡村修朋君
第70回神奈川県中学校 水泳競技大会 4×100mメドレーリレー 優勝(4分5秒45 大会新)
井上嘉人君 ・ 金浦英紀君 ・ 星合謙一郎君 ・ 岡村修朋君
第70回神奈川県中学校 水泳競技大会 4×100mフリーリレー 優勝(3分44秒90)
第70回神奈川県中学校水泳競技大会
・星合謙一郎君
200mバタフライ 優勝(2分9秒56)
・井上嘉人君
200m個人メドレー 優勝(2分11秒49)
・田中悠資君
200m平泳ぎ 優勝(2分26秒05)
・岡村修朋君
50m自由形 第5位(25秒79)
・中村悠人君
100mバタフライ 第7位(1分2秒98)
第58回全国中学校水泳競技大会 男子総合の部 団体 第2位
井上嘉人君 ・ 田中悠資君 ・ 星合謙一郎君 ・ 岡村修朋君
第58回全国中学校水泳競技大会 4×100mメドレーリレー 第2位(4分01秒55)
井上嘉人君 ・ 金浦英紀君 ・ 星合謙一郎君 ・ 岡村修朋君
第58回全国中学校水泳競技大会 4×100mフリーリレー 第2位(3分42秒03)
<高校水泳部>
寺島俊結君
関東高等学校水泳競技大会 1500m自由形 第8位(16分01秒69)
<高校ヨット部>
国見有君 ・ 金光浩志君 ・ 熊野卓郎君 ・ 梶原一真君
全国高等学校総合体育大会ヨット競技 男子420級 優勝
全国高等学校総合体育大会ヨット競技 男子学校別 総合第4位
桔川翔太朗君
全国高等学校総合体育大会ヨット競技 男子一人乗り 第5位
卓球部OB会総会は2018年8月4日(土)、逗子魚勝で平成30年度総会を開催しました。
連日の猛暑の中、18名(顧問 山崎・井川先生含む)の会員が参加し盛大に開催されました。(年齢層は幅広く、上は81歳から下は28歳です。)
総会は、福本会長(高22回)の挨拶後、議長に鈴木岳幹事長(高28回)が選出され、議事2案(活動報告・決算報告等)を各担当から報告後2案とも承認されました。
総会終了後は、石丸浩幹事(高38回)の司会で懇親会が開催されました。宴が始まり、新鮮な魚・肉料理を堪能し食感が心地良かったです。
宴もたけなわの頃、最長老(朝倉俊之介先輩)がお盆を片手に唄も出て大変盛り上がりました。今後共、元気で楽しい雰囲気な卓球部OB会が続くことを誓いあい閉会しました。
卓球部では、一時途切れたホームページを近く立ち上げOB会の情報とPRも検討中です。
卓球部OB会 会 長 福本 藤彦(高22回)
2018年7月21日(土)、校友相互の親睦を図る活動の一環として、逗子開成学園校友会主催の「クルージング大会」イベントを葉山新港ヨットハーバーで開催しました。校友のほか、教職員、PTA、友人など100名を越す皆さんにご参加いただきました。
午前9時30分現地集合、10時過ぎからヨット、クルーザーなどに乗り込み、風は強かったものの海上の爽やかな風を感じながら船上体験を満喫しました。
その後、室内で懇親会を行い、冷たい飲み物、美味しい料理に舌鼓。参加者は「来年もぜひ来ます!」と、校友会のイベントとして外せないものとなりました。
逗子開成中学校・高等学校 元校長 袴田 潤一
大正末に逗子開成中学校で学び、太平洋戦争末期に自らを犠牲にして日本軍の台湾人兵士の多くの命を救った人物がいます。廣枝音右衛門君です。
廣枝は1905(明治38)年に神奈川県足柄下郡片浦根府川(現小田原市根府川)に生まれ、1924(大正13)年に逗子開成中学校4学年に編入しています(編入前の履歴は残念ながら不明です)。在学2年で卒業し、日本大学予科を経て、1928(昭和3)年に佐倉歩兵第57連隊に入隊、軍曹にまで昇進しました。満期除隊後、一時湯河原町で小学校教員を務めますが、1930(昭和5)年に台湾総督府巡査を志願し晴れて合格、台湾に渡りました。植民地台湾の治安維持のみならず民生向上にも貢献したそうです。温厚な人柄で、部下・島民からも慕われたといいます。
太平洋戦争の戦線拡大により、軍属部隊である海軍巡査隊の総指揮官を拝命したのが1943(昭和18)年で、台湾の警官を中心に編成された約2千名の隊員を率いマニラに到着したのが12月でした。ルソン島への連合軍の上陸が迫ると、マニラ海軍防衛隊が編成され、海軍巡査隊はその指揮下に入りました。1945(昭和20)年の初め、連合軍がルソン島に上陸して激戦が繰り広げられる中、海軍防衛隊は隊員に敵戦車への体当たりを命じたのです。しかし、2月24日、廣枝は部下に向けて次のように語り、拳銃で頭部を撃ち自決したのです。
「此の期に及び玉砕するは真に犬死に如からず。君達は父母兄弟の待つ生地台湾へ生還しその再建に努めよ、責任はこの隊長が執る」
その後、廣枝の部下数百人は米軍に投降、約1年間の捕虜生活を経て故地台湾へ生還しました。
戦後、廣枝の部下だった台湾人警官らによって元台湾新竹州警友会が結成され、時を経て、1976(昭和51)年、台湾北部の苗栗県獅頭山に廣枝の位牌を祀りました。今日まで慰霊祭も毎年執り行われています。
翌1977(昭和52)年には日本在住の有志らにより茨城県取手市弘経寺内廣枝家墓域に顕彰碑が建立されました。
多少長くなりますが、顕彰碑に刻まれた文章を紹介します。
ああ壮烈 義人
廣枝音右衛門
君は明治38年12月23日神奈川県小田原に生まれ長じて東京日本大学に学ぶ昭和5年意を決して台湾警察に身を投ず頭脳明晰資性温厚而も剛毅果断 台湾島民の信頼殊の外厚し昭和12年7月日華事変勃発続いて昭和16年12月大東和戦争に拡大其の間銃後の守りに艇身昼夜の別なし昭和18年12月新竹州警部にして竹南郡行政主任たりし時台湾青年の海軍巡査を以て組織せる軍属部隊の長として比島に派遣さる部下への愛情深く慈父と仰がる されど戦況吾に利あらず遂に昭和20年2月米軍の上陸侵攻を受けるや吾に防御の術さへ無し軍の命令たる其の場に於て全員玉砕すべしと既に戦局の前途を達観したる隊長は部下に対し「この期に及び玉砕するは真に犬死に如からず君達は父母兄弟の待つ生地台湾へ生還しその再建に努めよ責任はこの隊長が執る」と一言泰然自若として所持の拳銃を放ちて自決す時に2月24日なりその最期たる克く凡人の為し得ざるところ宣なるかな戦後台湾は外国となりしもこの義挙に因り生還するを得た数百の部下達は吾等の今日在るは彼の時隊長の殺身成仁の義挙ありたればこそと斉しく称賛し此の大恩は子や孫々に至るも忘却する事無く報恩感謝の誠を捧げて慰霊せんと昭和51年9月26日隊長縁りの地霊峰獅頭山勧化堂にその御霊を祀り盛大なる英魂安置式を行なうその事を知り得た吾等日本在住の警友痛く感動し相謀りて故人の偉大なる義挙を永遠に語り伝えてその遺徳を顕彰せんとしてこの碑を建立す
昭和52年11月吉日
元台湾新竹州警友会
因に遺族は取手市青柳に住す
廣枝音右衛門についてはあまり知られていませんが、出身地の地元では廣枝を顕彰し、多くの人に知っていただくための運動も始まっているようです。
高五回同期会広報「五期会通信」(第81号平成30年7月20日)より一部書き換えて転載
逗子開成中学校・高等学校元校長の袴田潤一先生が代表を
袴田先生より、校友会会員に向けて、メッセージをいただきましたので紹介します。
2018 年 7月 12 日
松坡文庫研究会 代表 袴田 潤一
逗子開成学園校友会 会員各位
松坡文庫研究会発足のお知らせ
2016 年末頃より鎌倉市中央図書館を中心に逗子開成の創立者である田辺新之助先生の寄贈図書群(約6,000冊 松坡文庫)への関心が高まり、昨年度、同館で4回の勉強会が開かれました。講師は同館の中田孝信氏、鎌女元校長の斎藤俊英先生、 湘南の別荘研究家で「鎌倉の別荘地時代研究会」の島本千也先生、それに私(袴田 )が務めました。
そうした動きの中で、この度、「松坡文庫研究会」が発足しました。発起人は、図書館とともだち・鎌倉、鎌倉同人会、鎌倉を愛する会の有志ら5名で、事務局は鎌倉中央図書館に置き、同館近代史資料担当者が事務担当となります。代表は袴田潤一が務めます。
松坡文庫研究会の活動は、
1.松坡文庫の全容把握(寄贈書籍の整理)
2.田辺新之助その人に関する研究
3.1.2.の公表
を目的としています。
発足時点では弱小組織ですし、具体的にこれから何をどうやって行くかは暗中模索ですが、差し当たり、会の発足と当面の活動についての広報活動が必要だと考えています。 校友会の皆様に松坡文庫研究会の活動を知っていただき、 様々な媒体( 校友会の各支部の活動、広報紙、HP 、facebook 、口コミ 等々 )で情報を拡散していただけると有り難いと思います。
当面は鎌倉市中央図書館書庫での文庫整理作業が中心となり、広く会員を募ることは行いませんが、将来何らかの形でご支援いただければ幸いに存じます。
まずは会の発足お知らせまで。
平成30年度逗子会総会は6月30日(土)に母校海洋教育センターで開催しました。母校からは小和田亜土教頭、校友会からは鈴木正祐副会長兼葉山会会長(高11回)はじめ各地区会会長各位を御来賓に迎え、会員26名が参加しました。校歌、物故者の黙祷に始まり鈴木安之氏(高9回)の議長により四議案の説明、可決。御来賓の挨拶、で閉会。
閉会後、元(株)バンダイの社長であり(社)日本おもちゃ協会会長で作家の山科誠氏(ペンネーム・茶屋二郎)が出版された西郷隆盛・「こげなお人ではなか」のタイトルで講演会を開催、NHKテレビで放映している西郷隆盛とは違う一面を楽しくお聞きしました。後、鈴木克幸氏(高16回)の司会で懇親会。新宿湾を見ながら昔話で盛り上がり、逗子会会員を増員するのに、どうすべきか等々の意見が出、盛況な内に閉会しました。(高21回 岩堀 恭一)
6月17日(日)3年連続でお願いしている逗子海岸のカンティーナで16時より来賓13名をお迎えし、総勢32名にて開催しました。
事業報告及び決算、事業案、予算案共に可決承認を頂き無事新しい年度のスタートを切りました。
お待ちかねの懇親会でははじめにご来賓を代表して逗子開成学園の立川丈夫理事長よりご挨拶と現在の逗子開成の進学率や取り組みについて丁寧にご説明頂きました。
続く志村政俊校友会長のご挨拶では、校友会の取り組みと如何に新卒の皆さんを校友会に取り込んでいくかというお話を頂きました。
その後、懇親会では、恒例となった歌手のもりや櫟さんとデュエットや生ピアノ伴奏のカラオケで盛り上がり、最後は全員で「真白き富士の根」を大合唱しました。
締めの音頭は、東京会の鈴木捷夫さんの3本締めでキッチリきめて頂き、楽しい懇親会を終了しました。
(高28回 森谷 仁)
学校側、来賓を含め23名の出席を得て各議事も無事進行した。今回は広報委員の森谷氏の会社、アーテックに依頼した立派な横断幕が出来、会場もピリッとした雰囲気となった。
中華のお店という事で円卓を囲む懇親会では笑顔があふれ話がはずんだ。最近の鎌倉には中国系の観光客が多いのだが、横浜港へ豪華客船で着き、朝一番のバスでやって来るので小町通りは人波をかき分けて通る感じである。会がお開きになる夕刻でもまだ大勢の人の列である。
(高18回 滝川 和人)
30年度という節目の年、委員一同総力を結集。8地区会の先陣を切って2018年6月9日(土)三笠通り地球堂2階で開催された。
久方ぶりに会員70名、来賓、地区会の仲間達合わせ100名を越す盛況。議事も佐々木成先生(高3回)の議長のもとスピーディーに進み、議事のあと田中正己先輩(旧33期)の戦争体験に耳を傾けた。その後のアトラクションでは解体ショーの鮪に舌鼓を打ちながら、ロスインディオス棚橋さんの美声、有希乃ちゃんのひばり節。昨年に引き続き2人のデュエット。開成有志による開成応援歌メドレーと続いた。間に予定外の開成音頭まで飛び出し、締めの曲は全員輪になって「真白き富士の根」を大合唱。
山崎幹事長の熟達した名司会の下、中締めは佐藤先輩(旧42期)の3本締めで目出たく散会。 その後の2次会以降については追跡不能 。
(高16回 山尾 訓一)
なお寿福寺は鎌倉五山第三位、俳人の高浜虚子や小説家の大仏次郎の墓、源実朝や北条政子の供養塔もある。
但し元々この二人の鎌倉石で出来た五輪塔の墓は私の住居近くの勝長寿院跡のある雪ノ下大御堂ケ谷にあったが、昭和30年代に移設されたことを子供心に記憶している。
(高18回 瀧川和人)
母校創立者 田邊新之助先生について
本校の前身は、1903 (明治36)年、私立東京開成中学校の分校として、三浦郡田越村池子(現逗子市池子)に開校された各種学校私立第二開成学校です。初代校長は東京開成中学校の校長を務めていた田邊新之助でした。その後、中学校としての認可を得、東京開成中学校から独立し(1909)、私立逗子開成中学校と改称しました。有名な「七里ヶ浜ボート遭難事故」が起こったのはその翌年の1910(明治43)年のことでした。
(母校HPより転用)
2月3日(土)ご逝去されました。享年86歳。校友会東京会前会長・現最高顧問。野球部OB、前逗子開成学園評議員。
逗子開成100周年記念の時本部役員で監事であったとき、横須賀芸術劇場にて記念音楽祭の責任者で大成功の功労者。
100年程の年月を経ても12の御霊は多分喜んでくれるのではなかろうか…と思う。ともあれ、その水難事故を忘れる事なく伝えていく責務は伝統校たる逗子開成並びに母校で学んだ同窓生全員にあるのではなかろうか…と思う。(高18回 瀧川 和人)
ボート遭難について
1910(明治43年)1月23日、七里ヶ浜沖で逗子開成中学のボートが転覆し、生徒12名が亡くなった。
逗子開成中学は、当時の校長が海軍将官だったため、海軍軍人の子弟が多く通っていた学校だった。
この日、少年たちは、軍艦「松島」から払い下げられたカッターで江の島までの旅に出るが、その帰路、行合橋を過ぎたあたりで転覆事故に遭ってしまう。
ボートには12名の少年たちが乗っていた。
その中には小学生もいた。
遭難事故は、江の島や七里ヶ浜の漁村で目撃され、いっせいに半鐘が打ち鳴らされ、漁師たちが悪天候の中、漁船を繰り出したが、海に投げ出された少年たちを発見することはできなかった。
転覆と同時に少年たちの姿は見えなくなっていたという。
冬の七里ヶ浜の海は、急に悪天候となり寒冷な西風に襲われることがある。
逗子開成中学の生徒たちは、江の島を出るときに漁師に止められたというが、当時の校風がボートを海へと漕ぎ出させた。
遭難事故の翌日、横須賀軍港から掃海艇が派遣され、12名の遺体が発見された。
その遺体の中には、中学生の兄が小学生の弟をしっかりと抱きかかえた姿もあったという。