生まれ育った横浜市金沢区瀬戸の実家近く、金沢八景駅前にある8Kギャラリー「A(アー)」で「植草達郎 博子 日用雑器展」を開催。 「活躍する校友」で紹介
「医・歯・薬・獣医学部説明会」で高46回の西井鉄平さん
平成28年11月22日(火)、母校徳間記念ホールにおいて2016年度「医・歯・薬・獣医学部説明会」が開催され、医系を目指す高1・2年生と保護者約70名が出席した。
今回、校友が直接自らの経験・知見を後輩に伝える初めての機会として、現役の医師である高46回(平成6年卒)の西井鉄平さん(横浜市立大学附属市民総合医療センター呼吸器病センター外科助教)が講演を行った。
西井さんは、自らの道のりを述べた後、医師に必要な要素や心構えを説き、医師という仕事を選ぶならしっかりとした覚悟とやりたい夢を持つようにと語りかけた。
最後にどんな仕事であろうと、社会に出たら学力ではなくて、その世界で生き抜く真の実力が問われることになるので、人間としての力を蓄えて欲しいと結ばれた。
出席者は皆熱心に聴き入り、将来の進路を判断するうえで、大変参考になる講演であった。
校友会は、これからも母校・後輩の更なる飛躍のために尽力していきたい。
瀧川鯉丸さんは、すでに会報や校友会ホームページでも紹介しているが、本名が飯盛勢成さんで高58回の校友。一昨年、落語社会で一人前と認められる「二ツ目」に昇進し、都内の寄席や落語会に出演のほか、東京、神奈川などで自分の勉強会を開いている。
当日は、まず美空ひばりを「お師匠さん」と尊敬し「美空ひばりさんの弟子」になりたいと頑張っている、有希乃路央(ゆきのじお)さんが「真っ赤な太陽」や「花笠道中」をはじめ、素敵な歌声を聞かせてくれた。
いよいよ鯉丸さんの出番。「じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ…」と聞き慣れた落語に、お客さんは笑い転げていた。
有希乃路央さんの歌をはさみ、二席では「お菊の皿」、別名「皿屋敷」。古典落語の熱演に拍手喝采、楽しいひと時を過ごし、あとは美味しい寿司に舌鼓。
コラボ企画は大成功でした。
(高21回 柴田 一男)
東京高等師範学校女子部数学科(現・御茶ノ水女子大学)卒業 。札幌や東京で教職に就いた後、個性を尊重する自由で伸びやかな教育を目指して、1916年(大正5年)、渋谷常磐松町一番地に常磐松女学校(現トキワ松学園)を創立した。建学の精神「鋼鉄に一輪の董の花を添えて」。
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1910 年(明治43年)1月23日、鎌倉七里ヶ浜沖で起きた12 名のボート遭難事故は校友各位はご存知の通りですが、この事故で、日本全国、津々浦々に歌われた「真白き富士の根」の作詞者でもある三角先生の半生を知っている方はどうでしょうか。逗子開成に伝わる日本の名歌の作詞者を改めてご紹介いたします。
2016年11月22 日、東京都目黒区にあるトキワ松学園は創立100 周年を迎えました。創立100年を経た現在、小・中・高・大(横浜美術大学)を運営。
三角錫子先生は、鎌倉高女(現・鎌倉女学院)を2年(1908 年4 月~1910 年3 月)で 退職後、女子教育の向上を目指し、東京常盤松御料地に常盤松女学校を創設、生涯を終えるまでのわずか5年間に、教育活動、活発な啓蒙活動や歌人として120点余りを婦人 雑誌や専門雑誌に発表。教育論、社会評論、住宅問題に至るまで多岐にわたる活躍は、たゆまぬ努力によって蓄えられた豊富な知識と、厳しい人生体験から感じとった人生哲学を基に、社会の様々な問題に関して、自分自身の言葉で社会に向かって自由におおらかに自 説を発信し、多様な活動を展開した。
現代の経営学の基礎のひとつであるアメツカのF ・ Wテーラが明治末期に提唱した「科学的管理法」による動作経済に着眼し家政学分野や家事労働に実地に応用した。
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逗子開成とのご縁
逗子開成と鎌倉女学校(現・ 鎌倉女学院)を創立した田辺新之助は東京開成の校長を兼務し三角錫子先生の弟二人が東京開成に在籍中、保護者として田辺校長と面識があった。逗子在住は、転地療養のため(結核)であったが、その後、鎌倉女学校の教諭となる。遭難の惨状を目撃し、悲しみの余り即興的に「真白き富士の根」の歌曲が作られた。 会報記事掲載にあたり、トキワ松学園、同窓会「みどり会」の事務局長、東海林典子さんより資料提供をいただきました。
(高21回/畑野 英司)
投稿 山田 伸二(高23回)
逗子開成中学校・高等学校吹奏楽部によるNew Year Concertに行って参りました。
ときは小春日和の平成28年1月10日、午後1時半、場所は旧松竹大船撮影所のあったところと思しき鎌倉芸術館小ホール。
ここに父兄、ОBが三々五々集まり満席に、2時開始となりました。
最初の「スター・ウォーズ」のテーマ曲から私たち聴衆をリズムに引き込み、そのまま「コパカバーナ」まで一気に引っ張っていく、一転アンサンブルステージでは落ち着いた音色を奏で聴く者の耳をとらえて離さない、構成とパワー、テクニックには感服いたしました。
そして、幕間の休憩をはさんで第2部は緩急をつけた構成で「フィンランディア」まで一気呵成に聴衆を引っ張っていきました。
最後はお決まりのブラスバンドの名曲で締めくくり、あっという間に愉しくも素敵な時間が過ぎました。
ここまでご指導いただいた顧問、先輩諸氏に感謝いたします。
ありがとうございました。