逗子開成学園
志村政俊 理事長
一斉に花開き、草木が芽吹き始めた春の陽光の下で、こうして創立120周年の記念式典を行うことが出来ますのも、逗子開成に関わっていただいている皆様のご支援の賜物と、心から感謝申し上げます。
また、ご来賓の皆様には、新年度早々で何かとご多用のところお運びいただき、誠にありがとうございます。
さて、本校は、この逗子の地に学び舎を構え、120年の時を刻んできました。学校創設趣意書で、教育が最も重要である中学の時期においては、「心身の健全な発達を図るには、清浄な空気と爽塏(そうがい)なる土地とによるべし」として、自然豊かな逗子の地を選んだことに触れています。爽塏なる土地とは、からっとして爽やかな土地ということでしょう。
以来、長きに亘り約3万2千名の有為な人材を世に送り出してきました。教育に情熱を注いできた幾多の教職員、及びそれに応えるべく研鑽を積み、社会の発展に貢献した、また現に活躍している多くの卒業生に想いをいたす時、改めて紡いで来た歴史の重みを感じます。
120年という歴史の積み重ねは、その長さが故に尊いのではなく、理想とする教育を実現するために、常に新しいものを追い求め、たゆまぬ変革への努力を続けて来たことにこそ、価値があるのだと思います。
1980年代の半ばに、「会社の寿命は30年」ということが盛んに言われました。現状維持は退歩であり、何も変革しなければ、ビジネスモデルが陳腐化し、稼ぐ力が衰えて、会社は30年程度で消滅するという主旨でした。社会が多様化・複雑化し、加えてテクノロジーの進化により、急激に変化する昨今では、その期間は、間違いなくもっと短くなっています。
学校は、営利法人ではありませんが、質の高い教育の維持・向上のために、またその時々の時代の要請に適応するために、変革を続けていかなければ、魅力を失い、いずれ存続が難しくなる、という点では、同じことが言えます。
本校の歴代の経営者や学校長をはじめ教職員は、学校の発展、あるいは生徒の成長に資するものであれば、新しいものを躊躇なく取り入れ、教育内容の改革に取り組んできました。中でも本校の変革・改革を語る時、徳間康快先生の業績を挙げなければなりません。私は残念ながら謦咳(けいがい)に接することはありませんでしたが、先生は本校の卒業生で、徳間書店、スタジオジブリなどの経営にあたられながら、昭和59年(1984年)2月から、平成12年(2000年)9月まで16年半余り、その間4年ほどの校長兼務を含め、理事長を務められました。
就任されると、昭和55年(1980年)に起きた北アルプス八方尾根での山岳部の遭難による混乱を収拾するだけでなく、直ちに教育内容の改革に着手されました。進学校化、映像による情操教育、目の前に広がる海を活用した海洋教育の3つの教育目標を掲げ、具体的に教育内容に反映していきます。同時に学校施設・設備の拡充など教育環境の整備にも力を注ぐとともに、中止していた中学校の募集再開による中高一貫教育の復活、国際交流など、驚くほどのスピードで改革を断行されました。
先生が示された教育目標は、その後本校の教育プログラムの基礎となり、更に肉付けされ、内容も充実して現在に引き継がれています。120年の歴史の中でも、本校が最も大きく変革した時期であり、全く新しい学校に生まれ変わったと言っても過言ではない程の抜本的な改革でした。
理事長在任中に病を得られ他界された徳間先生は、常々「逗子開成を日本一の学校にするんだ」と口にされていたと聞いています。先生の崇高な志は、未だ途(みち)半ばですが、その想いをしっかり受け止め、これからも逗子開成ならではの、特色のある教育の実現に向けて挑戦を続けてまいります。
結びに、記念式典に列席している在校生の皆さんに期待することを申し上げます。
今日皆さんは、創立120周年という歴史的な日に立ち会っています。そこで皆さんには、先輩達が積み上げて来た歴史と伝統を、敬意を持って振り返ると同時に、これからの新たな歴史を造り、担っていくのは自分達だという決意を新たにして欲しいと思います。
長い歴史の根底には、常に建学の精神である「開物成務」がありました。「物事の理(ことわり)を開き示し、天下の務めを達成する」、先輩達がそうであった様に、皆さん一人一人が、高い志を持って社会の発展に貢献することを目指して行動する時、逗子開成の歴史は、一層輝きを増すことになると思います。
それでは、今日の記念日を共に祝い、そして120周年の標語「広がる海、まだ見ぬ景色へ」を合言葉に、新たな歴史の大海原へ、さあ!力強く漕ぎ出しましょう。
皆さんに、希望に満ちた未来を託して、式辞とします。
逗子開成中学校・高等学校
小和田亜土 校長
うららかに春風も心地よい頃、本日、こうして逗子開成創立120周年の記念式典をおこなうことができました。これもひとえに日頃より本校に関わっていただいている皆様のご支援のおかげです。心より感謝申し上げます。
また、桐ケ谷逗子市長様、神奈川県私立中学高等学校協会の工藤理事長様をはじめ、ご来賓の皆様には、ご多用のところ足をお運びいただきまして、誠にありがとうございます。
世界がコロナ禍から脱しつつあるなか、本校は創立120周年を迎えました。世界中の人々がコロナウィルスと対峙し、各々の文化的慣習や日常の生活習慣の見直しを余儀なくされるなか、あるべき社会の姿があらためて問われています。わが国の学校教育のあり方も従来のかたちを見直し、ICT教育など新たな教育活動が展開されています。
変化を強いられ先の読みにくい時代において学校で育むべきかけがえのないものは何か。本校は、この問いに対して、本校では、コロナ禍がもたらした急激な社会変化をふまえながらも、この120年にわたる教育活動の積み重ねのなかから、その育むべき大切なものを再認識し新たな歩みを進めていく所存です。
逗子開成は、私立東京開成中学校の分校として1903(明治36)年4月18日に誕生しました。当初は「各種学校私立第二開成学校」とよばれ、創立者は当時東京開成中学校の校長を務められていた田邊新之助先生でした。開校当初は逗子池子の東昌寺の境内に居を構えましたが、その年の秋には、逗子海岸の中央にあたるこの逗子新宿の地に移転しました。そして、1909年には東京開成中学校から分離独立して、私立逗子開成中学校となりました。
逗子開成は、今日までの間に、いくたびか難しい局面を経験してきました。例えば、関東大震災において本校校舎が全壊しました。太平洋戦争の前後において教育活動は軍事的な影響を受けた一方で戦後民主化政策のもとでその内容が大幅に変更されました。また、本校生徒や教員が命を落とした痛ましい七里ガ浜ボート遭難事故や山岳部の八方尾根遭難事故の発生は、あるべき安心・安全な教育活動の教訓として今日まで語り継がれています。
各々の困難は、当時の教職員や生徒、本校関係者の方々のお力により乗り越えられてきましたが、その都度、その時代性や社会の動向を見据えた新たな教育活動が掲げられてきたことは、特筆すべきことだと思います。そしてそのすべてに、本校の建学の精神である「開物成務」の意思が通底していることは言うまでもありません。
今日の逗子開成における教育活動の指針は、1985年にその大枠が示されました。1984年に理事長に就任された徳間康快先生は、中学の募集を再開するにあたり、カリキュラムを見直し、ヨット実習や遠泳実習を含む海洋教育、映像教育、ICT教育、海外研修などを打ち出し、大幅な学校改革を進めました。現在、これらの教育活動はさらにステップアップし発展させたかたちで行なわれています。ぞの結果、今や学力はもとより生徒の主体性や協同性も大いに伸長しつつあると私は感じております。
主体性や協同性という観点からみれば、創立120周年を迎えるにあたり、生徒が様々なプロジェクトを立ち上げて取り組み、式典では多彩なプレゼンテーションを披露してくれることになりました。120周年のスローガンやロゴマークも生徒によって作成されましたし、本日の記念式典における司会を務めているのは高校1年生の北島くんです。式典での生徒による司会者の登用は稀なことではないでしょうか。
これから世界はますます変化の激しい、予測の立ちにくい時代に入っていくでしょう。その際、主体性や協同性は生き抜くうえで欠かせない価値をいっそう帯びていくに違いありません。今の生徒を見ていると、彼らはやがてそれぞれに社会で活躍していくだろうと期待するばかりです。
時間というものは人間が生み出した概念ですが、人の成長や教育という視点からみたとき、その時間とは、単なる物理的な時間というよりも、過去と現在と未来が混在した「今」という時間、いわば「生きられた時間」と捉えることで、より深い意味合いを帯びるのではないでしょうか。私たちは「今」という時間のなかに、過去の記憶をよみがえらせ、現在の状況を認識し、未来の展望を浮かび上がらせる存在として、どこに向かうともわからない時代を意味づけて生きていきます。
120周年を迎えたこの日に、あらためてこのような視点から、つまり本校の120年の歴史とこれからの本校の展望を結び合わせる「今」という時間を皆さまと共有する機会をもつことができて大変嬉しく思います。生徒の皆さんは、先輩方の歴史を支えに自信をもって生きていきましょう。
以上をもちまして、校長の式辞といたします。
高校生徒会長(高校2年) 宮山祥さん
「逗子開成で一番良いところは多種多様な経験ができること。遠泳やヨット実習など海を通してさまざまな経験をすることができる。そんな経験をしたからこそ、先輩方がそうであったように、この先どんな困難にぶつかろうと1.5キロを泳ぎ切ったことを胸に、この先も困難を乗り越える人間でいられるでしょう。逗子開成の良さは、生徒のやりたいことを止めない校風です。生徒の興味がある分野で活動の幅を広げる機会をたくさん設けてくれ、また、チャレンジをしたければすぐに手を伸ばせる活動や団体が多く揃っている。この校風は代々受け継がれた逗子開成らしさの根幹だと感じる。先生方のサポートは、特別な時のみならず、日々の生活の中でも常にそばにあります。誰も取り残さない教育がある。逗子開成は本当に過ごしやすく、さまざまな世界を見ることができる最高の学び場である。これからもそうあり続けてほしいと切に願っています。
さて次に未来についてお話しします。私は、逗子開成は生徒自治が発展することでより良い学校になると考えています。生徒自治は今まさに生徒一人ひとりが取り組んでいる生徒会活動の芯の部分です。生徒主体の自主自立の活動を行うことこそが、生徒の本文であり、生徒自治が発展することが学校の理想型ではないか。
120年の歴史を強く感じ、先輩たちが築き上げてきた逗子開成の歴史を引き継ぎ、新たな時代に正面から向き合い、今日からまた新しい歴史の1ページを切り開いていきます。」
式典を迎えるにあたり、生徒たちが「120周年プロジェクトチーム」を結成。式典で発表・配布された記念誌、記念グッズ、式典ビデオの作成チームや地元の海などを対象に研究する「気候変動対策」や「記念グッズ」のプロジェクトのほか、式典の司会も高校生徒会副会長の高校1年、北島理仁さんが務めた。
プロジェクトチームプレゼンテーション
次に、昨年度から立ち上げ、準備してきた生徒プロジェクトチームの紹介。式典で配布された記念誌は「記念誌作成チーム」の生徒たちが取材、執筆、デザイン、編集にあたって作られたことが紹介された。
「気候変動対策チーム」はプレゼンテーションで、未来への提案を。日本、世界での気候変動による被害の実態を伝え、自分たちが出来ることから始め、小さな取り組みでも学校全体、あるいは地域と協力して取り組めば世界は変えられる。逗子の浜辺を学舎としてきた逗子開成は、気候変動への未来に向けてはじめの一歩を踏み出すため、学校へ「資源の無駄を減らそう」として、紙、電気、ガスの使用量の削減を。
また、校舎を環境配慮型の設計にと提案。生徒には個人や部活での海岸清掃、さまざまな団体のビーチクリーンの活動へ参加して海岸をきれいに保つことでゴミ捨てを防ぎ環境問題への関心を高めていこうと。また、豊かな海を取り戻すために取り組んでいる地域の活動に自分たちも協力し、逗子開成独自の取り組みでも逗子の海に豊さを取り戻して、10年後、20年後の逗子開成は地域と協力して海を豊かに育んでいる学校、地球規模の課題にみんなで取り組んでいる学校だったら自分たちも誇らしく思えるのではと締め括った。
「記念グッズ」チームは、未来に続く記念品「120周年記念グッズ」をふたつ開発した。まずは120周年記念ロゴが印刷されたオリジナルタンブラーで、机のフックにもかけられるデザインのものを全校生徒、式典参加者に配布された。
タンブラーにかけた思いは、逗子開成の海洋教育の中でプラスチックごみによる海洋汚染やプラスチックの焼却により出る温室効果ガスが気候変動の大きな要因になっていることを学び、120周年を機に未来のために何か貢献したい、生徒がタンブラーを使えばプラスチックゴミを減らしていくことができると考えた。
タンブラーがあっても浄水器がなければペットボトルは減らないのではないかという意見から、すでに浄水器を設置しペットボトル削減に取り組んでいる、ある学校の生徒から意見を聞いたり、ウォーターサーバーを探しにショールームに見学にも行き、学校にウォーターサーバーの設置を提案することにした。
当初は創立記念日のタイミングでの設置を考えていたが、コロナ禍で使っていなかった冷水機を入れ替えるために先取りして設置してもらうことができ、現在では校内に15台のウォーターサーバーがあり、生徒の4人にひとりが日常的に利用している。逗子開成の取り組みが少しでも地域社会に影響を与え「まだ見ぬ景色へ」のきっかけを作っていきたいと提案した。
ゴンズイ君LINEスタンプ販売決定
次に、場内にどよめきが起こったのは「逗開120周年記念!ゴンズイ君スタンプ」のLINE公式スタンプ販売決定の発表。
合計16個で構成され、販売により得られる分配金は全額をUNICEF(ユニセフ)に寄付し、世界の子どもたちのために役立てる。自分たちの手で世界の子供たちを助けられたらとの思いがこもっている。
ダウンロードはこちらから https://store.line.me/stickershop/product/22119635/ja
動画で歴史をたどり、在校生インタビュー・海外からお祝いのメッセージも
創立120周年記念動画は「式典ビデオ作成チーム」の生徒たちによる取材、編集によって作られた。内容は、逗子開成の歴史が創立から現在まで文字で表示され、七里ガ浜ボート遭難事故と八方尾根遭難事故の部分では女声コーラスによる「真白き富士の根」の歌声の中、事故の経緯が文字で表示された。
その後、応援歌「函嶺の空」の歌声で、徳間理事長の逗子開成での取り組みを紹介。
続いて海外からお祝いのメッセージが送られてきた。イギリスのトーマスハーディースクールから二人の生徒が日本語でお祝いのメッセージを寄せてくれた。ニュージーランドのランギトトカレッジからは日本語、スペイン語、中国語、フランス語を学ぶ学生たちからも日本語で。大韓民国の金浦外国語高等学校からはキム・ジンソン校長先生から「毎年たくさんの優秀な人材を送り出していることに大きな拍手をお送りします」と祝福のメッセージ。学生たちからも「おめでとうございます、コロナ禍が終息しお会い出来るのを楽しみにしています」と。
活躍する在校生インタビュー、はじめは元メディア委員長から。メディア委員会として5年間、開成祭・体育祭の行事運営とYOU TUBEでの広報活動やパンフレット作成での広報活動を行ってきた。高校1年からは学年行事の撮影を行い、撮影した素材を動画にして学年のみんなに見せて思い出を共有するという活動を行ってきた。一番思い出に残っているのは、中学3年生の時に中止になった体育祭の代わりに行われた球技大会、高1のニュージーランド研修の代わりに行われた京都旅行。どちらかといえば京都旅行で、コロナ禍でいろいろな行事がつぶれてしまった中で久しぶりに出来た大きい行事で、メディア委員として生徒を撮影したり、その動画をまとめて学年のみんなに流して喜んでもらえたりと、それがあったので良い思い出になっている。10年後の逗子開成に望むことは「思いっきり好きなことが出来るところなので、生徒たちがさまざまなことに興味を持って、思ったことをすぐに行動に移せる人がいっぱいいてほしい」と話してくれた。
吹奏楽部部長は、現在の総部員数は54人で、以前に比べ人数が増えたので迫力のある合奏ができて嬉しい。コンクールは30人規模で臨む大会で、県南の地区大会では銀賞、県大会には進出できなかった。アンサンブルコンテストでは木管五重奏という少人数で挑み、県大会に進出した。10年後、生徒一人ひとりが学校生活を楽しんでいるような学校であってくれれば良いかなと思う。吹奏楽部もたくさんの人数でワイワイ活動してほしいと展望を語った。
柔道部部長は、中1から柔道部に入り高3まで続けてきた。海洋の研究ではヒトデを使ってチョークを作ったり、海の海流についての勉強もした。一番印象に残っているのは、部活で夏休みに行なった合宿で、先輩や後輩と一緒にいて楽しかったこと。10年後は、OPヨットやヨット部、和太鼓部など逗子開成でしか体験できないことが残っていてほしいと思う。
兄妹校からお祝いメッセージ
鎌倉女学院生徒会からは「兄妹校としてより仲が深めていかれたらと思う」とあいさつ。ユイちゃん、チヒロちゃんというキャラクターの紹介に続き、難問クイズの出題動画に会場が沸いた。
動画の最後には120周年プロジェクトチームの紹介があり、集合写真とともに生徒の名前が映し出された。
校友がプロジェクションマッピングを 制作、上映
最後に、吹奏楽部が開成讃歌「海」(團伊玖磨作曲)を120周年記念として演奏した。
演奏中に投影されたプロジェクションマッピングは写真部員が撮影した写真を用い、卒業生であり映像デザインが専門の宝塚大学東京メディア芸術学部教授の渡邉哲意さん(高44回)が制作、上映した。