逗子開成に日本の名歌を残した

三角錫子先生創立のトキワ松学園が100周年

misumi.jpg 三角錫子(みすみすずこ)先生は、1872年(明治5年)石川県金沢市生れ。
東京高等師範学校女子部数学科(現・御茶ノ水女子大学)卒業 。札幌や東京で教職に就いた後、個性を尊重する自由で伸びやかな教育を目指して、1916年(大正5年)、渋谷常磐松町一番地に常磐松女学校(現トキワ松学園)を創立した。建学の精神「鋼鉄に一輪の董の花を添えて」。


 1910 年(明治43年)1月23日、鎌倉七里ヶ浜沖で起きた12 名のボート遭難事故は校友各位はご存知の通りですが、この事故で、日本全国、津々浦々に歌われた「真白き富士の根」の作詞者でもある三角先生の半生を知っている方はどうでしょうか。逗子開成に伝わる日本の名歌の作詞者を改めてご紹介いたします。
2016年11月22 日、東京都目黒区にあるトキワ松学園は創立100 周年を迎えました。創立100年を経た現在、小・中・高・大(横浜美術大学)を運営。
三角錫子先生は、鎌倉高女(現・鎌倉女学院)を2年(1908 年4 月~1910 年3 月)で 退職後、女子教育の向上を目指し、東京常盤松御料地に常盤松女学校を創設、生涯を終えるまでのわずか5年間に、教育活動、活発な啓蒙活動や歌人として120点余りを婦人 雑誌や専門雑誌に発表。教育論、社会評論、住宅問題に至るまで多岐にわたる活躍は、たゆまぬ努力によって蓄えられた豊富な知識と、厳しい人生体験から感じとった人生哲学を基に、社会の様々な問題に関して、自分自身の言葉で社会に向かって自由におおらかに自 説を発信し、多様な活動を展開した。
 現代の経営学の基礎のひとつであるアメツカのF ・ Wテーラが明治末期に提唱した「科学的管理法」による動作経済に着眼し家政学分野や家事労働に実地に応用した。
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逗子開成とのご縁
逗子開成と鎌倉女学校(現・ 鎌倉女学院)を創立した田辺新之助は東京開成の校長を兼務し三角錫子先生の弟二人が東京開成に在籍中、保護者として田辺校長と面識があった。逗子在住は、転地療養のため(結核)であったが、その後、鎌倉女学校の教諭となる。遭難の惨状を目撃し、悲しみの余り即興的に「真白き富士の根」の歌曲が作られた。 会報記事掲載にあたり、トキワ松学園、同窓会「みどり会」の事務局長、東海林典子さんより資料提供をいただきました。  (高21回/畑野 英司)