田邊新之助先生の墓参

2018年

tanabesennsei-bosan.jpg 今年は2月17日穏やかな気候の中、鎌倉駅に集合の13名に加え鎌倉中央図書館関係者の阿曽さんも参加され、例年の如く行われた。寿福寺にあるお墓は、実は田邊家もご遺族が殆ど居られないということで、兄妹校の鎌倉女学院、及び先生が命名者である鎌倉同人会、そして我が開成会の墓参により辛うじて無縁墓への仲間入りを逃れている現状なのである。心あるOBは何時でも気軽にお線香やお花を手向けて下さればと思う。
 なお寿福寺は鎌倉五山第三位、俳人の高浜虚子や小説家の大仏次郎の墓、源実朝や北条政子の供養塔もある。 
但し元々この二人の鎌倉石で出来た五輪塔の墓は私の住居近くの勝長寿院跡のある雪ノ下大御堂ケ谷にあったが、昭和30年代に移設されたことを子供心に記憶している。
(高18回 瀧川和人)

母校創立者 田邊新之助先生について

 tanabesensei.jpg校の前身は、1903 (明治36)年、私立東京開成中学校の分校として、三浦郡田越村池子(現逗子市池子)に開校された各種学校私立第二開成学校です。初代校長は東京開成中学校の校長を務めていた田邊新之助でした。その後、中学校としての認可を得、東京開成中学校から独立し(1909)、私立逗子開成中学校と改称しました。有名な「七里ヶ浜ボート遭難事故」が起こったのはその翌年の1910(明治43)年のことでした。
(写真、文章とも母校HPより転用)